夢は叶う
日曜日、住宅会社に勤める私の妹の紹介で、「夢は叶う」金メダルの道のり~つらいときこそ笑顔で~という話を聞きに行きました。
話をしてくれたメダリストは、「阿部雅司」さんという、ノルディック複合の選手として1994年のリレハンメルオリンピック団体で金メダルを獲得。
阿部さんは現役引退後、2014年からソチオリンピックまで日本代表のコーチを務められ、平昌オリンピックでは解説をしたりと活躍されている方です。
また、この会を企画した人というのが、WELLNEST HOMEという住宅会社の社長「芝山さゆり」さんという女性で、もともと専業主婦だった人が、2008年起業し独自の教育論で、人材育成や女性の起業を手掛けてられる方で、興味深かったので、少し遠いですが、福井県坂井市まで、行ってきました。
この会のいいところは、子供も会場に入れることです。案の定、そうたは長くはもちませんでしたが、家族で話を聞きました。
開演しょっぱな、「みなさんは夢もってますか?」と聞かれ、私は手を挙げることができませんでした。
突然、「夢」と言われても、どういうものが「夢」と言っていいのか、また、「目標」はあるけれど「それを夢と言っていいのか・・・」といろいろ疑問があったからです。
「夢」ってなんだろう?といきなり考えさせられるところから始まりました。
阿部さんのお話は、「オリンピックでメダルを取るような人は住む世界が違う」と思われがちですが、そうではありません。私は高校生の時停学にもなりました。というところから始まりました。この冒頭の通り阿部さんは、現役生活中、いろいろな苦労を乗り越えてこられたようです。
阿部さんがノルディック複合と出会われたのは、中学生の頃、阿部さんの通う中学校に赴任してきた先生がきっかけでした。その先生から、複合は競技人口も少なく、全国大会にも出られると言われ、もともと野球部だった阿部さんは、野球部と掛け持ちで始められました。
阿部さんは、全然真面目に練習もしない。でも、人口の少ない複合競技、でも人口の少ない競技なので全国大会には必ず出られる。当然結果は、練習をしていませんから、かろうじて最下位を免れる程度でした。
高校でも、野球で推薦が来て、野球の道を進もうと思ったけれど、中学校の先生から、競技人口も多い野球でレギュラーになれるのは一握り、プロ野球12球団で800人の選手、
日本の野球人口から計算するとプロになれる人は10万人に一人、ノルディック複合なら、オリンピックに出られるのは100人に1人、ならば、複合でオリンピックを目指せと薦められ、
スキーの強豪校に入学されました。
高校に入ってからも、全然練習をしない、いわゆるヤンキーといものをやっていて、遊び歩く生活。写真で見せてもらいましたが、パンチパーマでした今のほうが断然若く見えてかっこいいです。また、高校生在学中に、最愛のお母さんを病気で亡くされ、苦労もされています。メダリストならば、小さいころから競技成績を上げているのでは?思われがちですが、決して有名な選手ではありませんでした。
阿部さんの転機は、高校3年生の時、高校に入ってから一つも成績を上げていないのにキャプテンを任されたことです。また、お母さんの病気の治療費で借金までしたお父さんが、何も言わずに、支援をしてくれてたことを知ったことで、高校でスキーを辞めよう。だから、最後の大会結果を出そうと思ったところからでした。「今までちゃんとやってきていないものは、みんなと一緒では勝てない」
「人のやっていないことを続けることで自信をつけよう」という思いで、練習を頑張り始め、高校最後の年に、成績を初めて表彰台に乗ることができました。
高校でやめようと思った阿部さんですが、高校の先生が採用してくれる企業を探しに、いろいろな企業を回ってくれたことで、企業に就職することができ、阿部さんは複合競技を続けることができるようになりました。
その後、カルガリーオリンピックの代表入りを果たし阿部さんは、オリンピックに出ることが夢でオリンピックに出ることがきまり会場に行ったことで、夢が叶ってしまい、自分が何をしていいかがわからなくなっていしまい、初めてのオリンピックは思うような結果を出すことができませんでした。
そして、次のアルベールビルオリンピックにも代表入りし、この時には、オリンピック直前に、V字飛行が飛距離が伸びるというデータが出てき始め、飛行方法を変えるか変えないかで明暗が分かれ、その時絶好調だった阿部さんは、従来の飛行方法を選択。結果、阿部さんは個人成績は上がらず、後輩たちはV字飛行に挑戦。団体戦のメンバーを外されました。
この時、「悔しくて涙が止まらなかった」と阿部さんは言います。でも、ふと、「自分がここでふてくされたり、泣いたら、後輩たちは思い切って明日戦えない。」と思い、笑顔で「あしたは思いっきりがんばってくれ!」とギリギリの気持ちではありましたが、後輩たちを応援し、スキー板にワックスを塗ったり、少しでも体力を温存できるように進んで荷物を運んだり、縁の下の力持ちで日本を支えました。
そして、日本は金メダル。「もう、この3人には勝てない。」阿部さんは引退も考えました。しかし、この時、お子さんが生まれたという事もあり、父親の選手としての背中を見せたいという思いから、現役を続行、3度目の大会リレハンメルオリンピックの代表入りを果たし、見事、団体で金メダル獲得。そして、現役を引退されました。
この時の金メダルは、ジャンプ競技が金メダル候補だったのですが、まさかの銀。ノルディック複合が金を取らないと、日本は金メダル0で帰らなければいけないという、非常にプレッシャーのかかる大会でした。緊張の中、最高記録を出せたのは、「笑顔で頑張ろう」と思いスタートしたそうです。非常に過酷な複合競技、笑顔どころではないですが、ポイントポイントに置かれるカメラの前は、歯を食いしばって笑顔を見せたそうです。
私も、オリンピック選手の講演を聞いたりしますが、大体が、ここまでのサクセスストーリ―しか聞くことができないのですが、最後に、阿部さんがノルディック複合をやっていて学んだことと言って、4つ箇条書きで上げてくださいました。
・失敗を恐れず、いろんなことにチャレンジすること。
・相手の立場になって物事を考える。
・目標や夢は口に出して言う!
・つらいときこそ笑顔で!!
この4つ、アクアっ子たちにも持ってほしいなぁと思いました。
目標や夢は大きいものだけではありません。どんな小さな目標や夢でも、叶える目的、そのために自分ができることを考えたら、きっと良い方向に進むことができると思います。
今日から少し、この4つを頭の中に入れて、日々を過ごしてほしいなぁと思います。
そして、阿部さんの数々の苦難を乗り越えて最後に獲得した金メダル。この話には支えた人の話は少し省きましたが、阿部さんには、練習をしないで遊び歩いているときも、困難に立ちはだかったとき、いつでも阿部さんの為に動いてくれる人、頭を下げてくれる人、支えてくれる人たちがいました。
子供たちが、つまずいた時、困難に向かう時、私たち大人はどんな行動をとってやれるだろうか?子供の夢を支え続けることができるだろうか?と考えさせられました。
でも、やっぱりメダリストは素質があるんだよ~と思うところがあるとしたら、やると決めたらチャレンジする力、努力する力が素質なのかもしれません。
これって、誰にでもあると思います。阿部さんの持っているものを開花してくれた出会いがあったと言ったほうあいいかもしれませんね。
講演中、杏奈と奏多の夢を聞いてみました。「ケーキ屋さん」と「仮面ライダーエグゼイド」
杏奈には、「おい!新体操じゃないのかよ」奏多には、「・・・・」ですが、ここら先、夢が変わっても応援してやろうと思いました。
コーチの夢は・・・「アクアっ子が100人以上になること」そして、その先には・・・ここは秘密
夢や目標を持つのは子供だけではありません。大人も夢や目標を持ち、昨日よりも今日、今日よりも明日、ほんの少し良いことを進んでやってみたり、良いことが見つけられるといいですね。
素敵なお話が聞けました
最後に一緒に写真を・・・とお願いしたら、「メダル取ってきますね~」なんて言って、急いでメダルを取りに行き、メダルをかけてくれました。
アクアっ子の中で、自分で勝ち取った金メダルをかけることができる子が出てきたらいいなぁ~(あっこれもコーチの夢)